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絵師ひでまさです😊
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このホームページでは、歌舞伎の女性を中心に描いたイラストと共に、歌舞伎の演目を紹介していきます。
そして、私が描いた歌舞伎絵と共に、あらすじも交えて分かりやすく解説していきます😌
今回ご紹介するのは、歌舞伎狂言・『蓮華絲恋曼荼羅』(はらすのいと こいのまんだら)です。
演目名
歌舞伎狂言
『蓮華絲恋曼荼羅』
(はらすのいと こいのまんだら)
あらすじ
藤原鎌足の曾孫、右大臣・藤原豊成とその妻の紫の前の間には長い間子どもが出来ず、桜井の長谷寺の観音に祈願し、中将姫(ちゅうじょうひめ)を授かる。
しかし、母親は、その娘が5歳の時に世を去り、6歳の時に豊成は、照夜の前を後妻とする。
中将姫は、美貌と才能に恵まれ、9歳の時には孝謙天皇に召し出され、百官の前で琴を演奏し、賞賛を受ける。
しかし、継母である照夜の前に憎まれるようになり、盗みの疑いをかけられての折檻などの虐待を受けるようになる。
13歳の時に、三位中将の位を持つ内侍となる。
14歳の時、豊成が諸国巡視の旅に出かけると、照夜の前は、今度は家臣に中将姫の殺害を命じる。
しかし、命乞いをせず、亡き実母への供養を怠らない、極楽浄土へ召されることをのみ祈り、読経を続ける中将姫を家臣は殺める事が出来ず、雲雀山の青蓮寺へと隠す。
だが翌年、豊成が見つけて連れ戻す。
中将姫は、『称讃浄土佛摂受経』(しょうさんじょうどぶつしょうじゅきょう)1000巻の写経を成す。
そして16歳の時、淳仁天皇より、後宮へ入るように望まれるが、これを辞す。
その後、二上山の山麓にある当麻寺へ入り尼となり、法如という戒名を授かる。
仏行に励んで、徳によって仏の助力を得て、一夜で蓮糸で『当麻曼荼羅』(『観無量寿経』の曼荼羅)を織ったとされている。
宝亀6年(775年)春、29歳で入滅。
阿弥陀如来を始めとする、二十五菩薩が来迎され、生きたまま西方極楽浄土へ向かったといわれている。
衣装メモ
今回の絵の主役は、中将姫です。
衣装は十二単です。
ピンクと緑を基調にした、十二単になっています。
中将姫の背後にある、着物のようなものは、几帳(きちょう)と呼ばれるものです。
中将姫は、畳の上で琴を演奏しているところです。
今回の表現ポイント
几帳の後ろに見えているものは、襖(ふすま)です。
青い襖に、蓮の葉が描かれています。
今回、この襖を描くのに一番時間が掛かりました(笑)
この青い色は、水彩絵の具で塗っています。
あとは、琴ですね。
中将姫が、琴を弾いているように描くのが少し大変でした(笑)
今回は、十二単姿の中将姫が、蓮の襖と几帳をバックに、琴を弾く場面を表現して描きました😊
今日も最後まで読んでいただき、
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