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絵師ひでまさです😊
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このホームページでは、歌舞伎の女性を中心に描いたイラストと共に、歌舞伎の演目を紹介していきます。
そして、私が描いた歌舞伎絵と共に、あらすじも交えて分かりやすく解説していきます😌
今回ご紹介するのは、歌舞伎舞踊・『粟餅』(あわもち)です。
今日の絵は、粟餅売りの杵造(きねぞう)とおうすの夫婦が主役です。
粟餅売りの夫婦が、江戸の中心街で楽しく踊りながら、粟餅を売るという内容となっています。
最後まで読んでいただけたら、嬉しいです😊
演目名
歌舞伎舞踊
『粟餅』
(あわもち)
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あらすじ
常磐津。
弘化2年、江戸中村座初演。
本外題、『花競俄曲突』(はなのほか にわかのきょくづき)。
作詞・桜田治助、作曲・四世岸沢式左。
四世中村歌右衛門、市川九蔵が初演した。
弘化2年(1845)に江戸中村座で初演され、当時、江戸で人気の粟餅売りの姿を舞踊化した作品。
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◇◇◇
威勢よく江戸の街中に現れたのは、粟餅売りの杵造(きねぞう)とおうす。
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二人は早速、搗きたての粟餅をちぎっては、粉が入った鉢に投げ入れる曲投げ見せる。
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やがて、二人は交互に六歌仙を演じ分け、きびきび軽やかに踊る。
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そして、団扇太鼓を打ち鳴らしたりしながら、賑やかな様子でこの場を去っていくのであった。
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◆◆◆
粟餅は古来より米の餅と同様に作られてきたが、江戸時代になると菓子として食べられるようになり、各地の盛り場などに店が立つようになった。
これらの粟餅店は、葦簀(すだれ)張りでその場で粟餅を炊きつきあげるものが多く、つきたての餅に人気が集まった。とくに江戸の目黒不動や京都の北野天満宮の門前のものが有名であった。
江戸時代末期の記録として、つきあがりを一握りつかむと指の間で全く同じ大きさの4つの団子にし、1間ほど離れたきな粉の盆に投げ入れ、できた片端から盆に盛り、または竹の皮に包んで客に食わせる、というパフォーマンスで人気を博したという。
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このパフォーマンスは、たちまち評判を呼び、歌舞伎や常磐津節の演目にもなった。
特に常磐津の演目として名高い『粟餅』は、この粟餅屋を舞台としたものである。
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現在でも各地で粟餅は作られているが、食生活の変化により、粟の生産が減少するにつれて粟の入手が困難になり、生産される粟も高級化を目指した品質のよいものとなっている。
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衣装メモ
主役は、杵造とおうすの夫婦です。
杵造の衣装は、鮮やかな紫色の着物です。こちらの着物には、銀色の絣(かすり)模様がデザインされています。
そして片袖は、赤い着物に早変わりしています。こちらの着物には、金銀の草花が描かれています。
頭には、水色の帽子を被っています。
一方、おうすの衣装は、ピンク色のストライプ柄の着物です。赤と薄紫色の線がデザインされています。
そして片袖は、赤色の着物に早変わりしてにいます。こちらの衣装にも、金銀の草花が描かれています。
帯は、黒・赤・オレンジとなっています。
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二人は、粟餅と書かれた団扇を持ち、江戸の中心街で粟餅を売っています。
今回の表現ポイント
背景は、江戸の中心街をイメージしたものになっています。
今回の演目が、江戸の街中で粟餅を売る夫婦の物語なので、背景は、東京の中心部にある《渋谷109》を描きました(笑)
建物の上部に、ピンク色の文字で、109と書かれていますね。
そして、黄色い流れる雲と桜も咲いています。黄色い雲には、青海波(せいがいは)の模様をイメージしました。
さらに、杵造とおうすをツバメの夫婦に見立てて、東京の街中を飛んでいる場面を表現しました。
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江戸の中心街で粟餅を売る夫婦を、東京の中心街に当たる渋谷109の前で楽しく踊るという、江戸時代と現代を合体させた表現で描きました。
今回は、歌舞伎舞踊・『粟餅』を紹介しました😊
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました😊✨
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